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嫌な予感のままに緊急出動。
サイレンを鳴らし、辿り着いた三上家のマンション、そのリビングで僕は立ち尽くしていた。
周囲では鑑識が慌しく動き回り、タンカに乗せられた良さん――僕の尊敬する先輩にして同僚――が運ばれていく。
完全に、息はなかった。
奥さんの亜季さんも同様。
そして、脱走した伊藤組の幹部、竹下洋介の息も。
リビングは平和だった頃の面影を残していて、それが一層違和感を煽る。
ビリビリに引き裂かれたカーテン、飛び散った血痕、乱暴に放り投げられた空箱。
それ以外は先日僕がお邪魔した時とそう変わりがないように見える。
「……酷いな、これは。背骨と首の骨が完全に折れちまってる」
「直接の死因は頚椎骨折による血管及び気管、神経の損傷でしょう。一応検視に回します」
「ああ。ったく何をやったらこんな風に殺す事ができるんだか」
「ぁ……」
竹下の死体を調べていた鑑識と先輩刑事は、耳聡く僕が漏らした声を聞きとがめて。
「そう言えば山村は三上先輩と仲がよかったな。何か知ってるのか?」
「えと……その……」
一瞬言ってしまってもいいものか、悩む。
だけど現場に彼がいない事や、先の電話口の会話から竹下を殺害したのは恐らく孝太郎君で間違いなくて。
黙っていていい事ではないのだと自分を叱咤する。
「山村?」
「……孝太郎君、格闘技をやってたんです。確か総合格闘技とか言うのを」
「つまり素手で殺害……頚椎は蹴りか何かか。恐ろしいな、格闘技ってのは」
「でも! 孝太郎君は凄く優しい子で――」
「山村」
先輩の酷く真剣な目に射抜かれる。
僕が言葉を詰まらせると、彼はやれやれと頭を掻いた。
「どんな前にでも殺っちまう時は殺っちまうんだ。ちいと頭冷やして、仕事ができるようになったら戻って来い」
「……は……い」
かろうじて頷き、孝太郎君との最後の電話内容を話してから外へ出る。
僕の脇を慌しく抜けて出て行った同僚達は、多分伊藤組に張り込みに行ったのだろう。
玄関の側、テープが張られた所へ何事かと集まってきた野次馬に鬱屈とした思いを抱きながら、人混みを掻き分け1階へ。
エントランスから外に出ると、さっきまではいい天気だったのに雨が降り始めていた。
僕はそのまま顔を上げて、降り注ぐ水滴に構わず空を仰いだ。
「……孝太郎君……今、どこにいるんだい?」
僕と孝太郎君は少し似ている。
顔や性格の話ではない。
その境遇が、だ。
僕等は実の親から愛情を受け取った事がない。
いや、そう言う意味で言えば、僕の方が少しはましだったのかもしれない。
なにしろ孝太郎君は、生みの親の顔さえ知らないのだから。
尤も、僕の両親は本当にクソッタレな人間だったのでどちらがまし等とは比べようがないのかもしれないが。
僕の父親はギャンブル狂いの酒狂いだった。
普段は家にいないくせに、ギャンブルで金が尽きると深夜に帰ってくるのだ。
もちろん働かない父親のせいでうちのボロアパートに金なんてあるわけもなく、やれ金がない、やれ酒がないと喚き散らしては僕に暴力を振るっていた。
母親はいつも香水か男の臭いをさせていた気がする。
あの頃は分からなかったが、多分キャバ嬢か何かだったのだろう。
彼女はいつも違う男を家に連れ込んでは、僕を部屋の外へ叩き出した。
そうしていつしか僕は、日没まで公園で時間を潰すのが常となっていった。
転機が訪れたのは僕が小学校に入学した直後だったと思う。
当然ランドセルなんて買えるはずもなく、僕は紙袋に教材を詰め込んで通っていて。
ただいま、とアパートの扉を開けた瞬間、ツンとしたすっぱい臭いが鼻についたのを覚えている。
部屋の中央には珍しくも早い時間に帰ってきた父親が立ち尽くしていて。
その視線の先には裸のまま重なり合い動かなくなった母親と、知らない男の姿。
父親が僕をどろりとした暗い瞳で見てきて、『きもちわるい』と思った。
『なんでだよ、華代子……』
その呟きを効いた時、父親はあんな母親の事をそれでも好きだったのかと悟って。
もしかしたらそれは単純な独占欲だったのかもしれないけど。
唖然としていた僕は、気付けば父親に羽交い絞めにされていた。
助けを求めようと口を開いたら、そこへ何かが突っ込まれて苦しくて。
溢れる涙、ぼやけた視界の先に、悲しみながらも狂気に犯された父親の顔が見えた事だけをはっきり覚えている。
次に目が覚めたのは真っ白い病室だった。
ベッドサイドにいた中年のおじさんがもう大丈夫だよと笑いかけてくれて、僕は泣いた。
彼の手が温かくて、あの地獄のような日々が終わったと知って、僕は泣いた。
その後、僕は孤児院で育つ事になる。
年を経るにつれて、様々な事を理解していった。
あの日父親が、母親と見知らぬ男を殺してしまった事。
騒ぎを聞きつけた近所の人が110番してくれた事。
突入した刑事さんがすんでの所で僕を助け出したくれた事。
父親は刑務所に入れられた事。
多分この頃だろう、僕が刑事になろうと思ったのは。
僕のような目に遭う子供を増やしたくなかったんだと思う。
警察学校に入学すると言うのは、貧乏な院の財政に負担をかけにくいと言うのも理由の1つだったかもしれない。
順調に学校を卒業した僕は、気付けばその腕っ節を変われてマル暴に配属されていた。
『おう、お前さんが山村か。聞いてるぜ、かなり強いんだってな。期待してんぜ、新人!』
それが、出会い。
お世辞にも色男とは言い難い彼は、僕を見てにかっと笑って。
実を言うと、僕はこの粗暴な先輩が少し苦手だった。
変わったのは、そう、彼が休暇明けに出勤してきた日、妙に生傷を負っていた頃だろう。
『三上さん、それ……どうしたんですか?』
『んー? 良さんでいいっつってんじゃねえか、山坊。
これか? 休暇中に野良猫拾ってよお。これが懐かねえ懐かねえ』
彼はそう言って、やっぱり豪快に笑った。
この時は何が何やらわからなかったのだけど、翌月彼が養子縁組したと言う話を聞いて、ようやく野良猫の示す意味を悟る事となった。
『ストリート、チルドレン……ですか? 日本で?』
『平成のこの世に……なんて顔してんぞ、山坊。
東京ってのは華やかだけどなあ、一歩路地裏に踏み入りゃあそこにあんのは闇なのさ』
聞けば、当初良さんは彼を引き取るのに反対だったらしい。
次から次に手を伸ばしていたら、いくら俺の手が太くても抱えきれない、と。
強行したのは良さんの奥さんである亜季さん。
彼女は元々子供を埋めない身体と言う事もあり、その少年の事を放っておけなかったらしい。
『懐かねえし、全然可愛くねえクソガキだけどな。
ああまでして嫌われるとなにくそ絶対懐かせてやるって思っちまうんだよ』
良さんはそう言って、いつものように、だけど少し照れたように笑って。
そうしてふっと寂しそうな表情になった。
僕がこの人の同僚となって半年、初めて見る表情だった。
『あいつはよ……孝太郎は何も悪くねえんだ。
悪いのはあいつを捨てた親なのに……やりきれねえよなあ。
この国にゃあ子供に自分の業押し付けて、のうのと生きてやがる大人が山ほどいるんだぜ?』
それが悲しくて悔しい、と彼は語った。
この時からだろう、僕の中で良さんが徐々に尊敬する先輩に変わって行ったのは。
僕の境遇が孝太郎君に少し似ていると話した所良さんは酷く驚いて、孝太郎君に会ってみるかと僕を誘った。
僕は迷いなく頷いて、その日初めて良さんの家にお邪魔したのだけど。
驚くべき事に良さんの奥さんである亜季さんは大和撫子とも言うべき美人だった。
良さんと並べば誰もが口を揃えて言っただろう。
美女と野獣だ、と。
一通り挨拶を交わして亜季さんに連れられるまま、孝太郎君の部屋に案内されて。
開かれたドア、部屋の中は薄暗く、その中に彼はいた。
部屋の隅、膝を抱え座り僕らの方を向いて。
仕立てのいい服に包まれた身体はガリガリで、だけども目だけはギラギラと光って僕達を睨みつけていた。
その姿を見て、なるほど野良猫だと納得させられたのを覚えている。
彼の瞳は独りで生きていく事を決意した大人のそれのようで、全然子供には見えなかった。
尤も体つき自体はかなり小さくて、その姿が酷くアンバランスに思えたのだけども。
僕は少し腰が引けながらも部屋に踏み入り、しゃがみ込んで彼と視線を合わせて、
『……こんばんは。初めましてだね、孝太郎君』
『寄るな、おっさん』
発された声はボーイソプラノのはずなのに妙な凄味があった。
僕はまだ20代なのにおっさんと呼ばれた事に顔を引き攣らせながらも話をしようとして。
10分程奮闘したが、これ以上は孝太郎の身体に障るからと亜季さんに止められすごすご撤退した。
『8歳……ですか!? そんな、そんな風にはとても……』
『これが現実なんだよ、山坊。クソッタレな現実って奴だ』
『あの子……実の両親の顔も知らないのよ』
リビングで話されたのは衝撃の事実だった
孝太郎君は生まれて間もない時期に路地裏に捨てられ、偶々彼を拾った売春婦に育てられていたと言う。
名前などなく、普段はおいとかお前等と呼ばれていたと。
その売春婦も5歳の時病気で亡くなり、それから彼は1人で生きてきた。
ただ、食べ物を探して彷徨い歩く日々を3年も繰り返していたらしい。
尤もこの辺りの事情は孝太郎君自身が話した事ではなく、良さんの地道な聞き込みで判明した事実だった。
良さんが彼を保護したのは新宿の路地裏。
最初ゴミ箱を漁る浮浪者かと思い注意しようと近づいた所、なんと子供だったので驚いたらしい。
『あいつはよ……大人は敵だと思ってやがる。
浮浪者同士で食料の奪い合いなんかもあったみてえだし、酷え時にはゴミ捨てに来た飲食店の店員に暴行を加えられた事もあったみてえだ』
『私はあの子にね……世の中は捨てたものじゃないって知ってもらいたいの。
あの子の未来はもっと輝かしいものに満ちているって知ってもらいたいのよ。
ねえ、山村さん。時々でいいの。孝太郎に会いに来てもらえないかしら?』
僕に、否はなかった。
それから僕は少なくとも月に1度は三上家にお邪魔するようになって、良さんは相変わらず生傷が絶えなかった。
だけどどんな傷を負っても彼は孝太郎君を厭う事はなく、むしろその傷がどんなシチュエーションでついたのかを楽しげに話してくれたのだ。
うちの悪ガキはえらい頭がいいんだと語る良さんは親バカそのもので、僕はそれが自分の事のように嬉しかったのを覚えている。
孝太郎君との初めての出会いから何年が経った頃だろうか。
確か、彼が中学生位の頃だったような気がする。
『……良さん、それ、どうしたんですか?』
『おう、聞いてくれるか山坊!』
『今日はいつにも増して上機嫌ですね』
その前日は奥さんの誕生日と言う事で早引けした良さんは、左足が包帯ぐるぐる巻き状態で松葉杖をついていた。
にも関わらず彼は酷く嬉しそうで、僕は首を捻って。
『孝太郎がよう……初めて俺の事父さんって呼んだんだぜ!』
『ええっ!?』
あれから何年も経って孝太郎君は確かに少しずつ柔らかくなってきていた。
だけど僕にはどうしてもそれが信じられなくて。
だって彼はずっと、おじさんおばさんと、おざなりに三上夫妻を呼ぶだけだったし、僕の事はおっさんのままだったから。
詳しく経緯を聞いてみると、真相は単純だった。
つまり、孝太郎君は根気強く何年も自分に付き合ってくれた2人に対し恩義を感じており、だけどそれまでずっと反発していたものだから今更父さん母さんと呼び方を帰るのが照れくさかったらしい。
微妙に良さんと似た気質に育った彼に、僕は苦笑した。
『でな、あいつ亜季の為に夕食作ろうとしてたんだよ』
せっかくの誕生日。
調理実習で習った事を思い出しながら、料理本片手に初めてチャレンジした夕食作り。
亜季さんは日中友達と会う為に出かけており、本来なら良さんが夕食を作る予定になっていたらしい。
内緒で夕食を作っていた孝太郎君は、台所に良さんが現れた事で酷く驚き、包丁を取り落とした。
そのまま孝太郎君に刺さってしまう所を良さんが助けたのはいいが、落ちてきた包丁で今度は良さんがずばっとやられてしまったようだ。
そこへ、亜季さんが帰宅。
『『お袋! 父さんが死んじゃうよ!!』って必死でなあ。
慌てて救急車で病院行って手当てしてもらったんだ』
『大丈夫なんですか?』
『まあ1週間もありゃ治るってよ。切り方がよかったみてえだな』
結局亜季さんの誕生会は流れてしまって。
台無しにしてしまった事を何度も謝る孝太郎君を亜季さんは抱きしめてありがとうと言ったそうだ。
『『ようやく母と呼んでくれてありがとう。最高の誕生日プレゼントよ』ってよ。
あん時ほど亜季の奴が俺の連れ添いだって事が誇らしく思えた事ぁねえな』
そう、良さんは、豪快に……笑った。
しとしとと雨が降る。
長い長い回想を終えて、僕は現実に戻ってきた。
あの後すぐに僕は三上家に行って、孝太郎君に呼び方の訂正を求めて。
照れくさそうに山村さんと呼んでくれた彼を見ながら、泣いたんだ。
彼が大学に入ってからしばらく、兄貴がいたら山村さんみたいな感じかなと言ってくれたのを思い出す。
「孝太郎君……」
呼んでも返事はない。
だって彼はもう、ここにはいないから。
孝太郎君にとって三上夫妻は初めて自分を認め、慈しみ、愛情を注いでくれたかけがえのない両親だったはずだ。
そんな彼が今いない。
なら彼が次に取る行動は、
「復讐、か……」
多分彼はそんな事をしても良さん達が喜ばないなんて事とっくに分かってるはずだ。
それでもきっと彼は止まらない、止まれない。
もしも僕が、長年世話になった院長を理不尽に殺されたらきっとそうしてしまうから。
だけど、
「止めるよ、君を。それがきっと、兄貴の役割だと思うから」
ぐっと鬱陶しい前髪をかき上げ、エントランスに戻る。
びしょ濡れの上着を脱いで前を向いた。
当時は話半分に聞いてたけど、彼は本当に頭がいい。
だから多分すぐには行動に移さないだろう。
何年かかっても辿り着く。
だから……早まった真似はしないでくれ、孝太郎君。