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≪兄弟! どこに行くつもりですか、兄弟!≫
未だ灼熱のともる身を駆使して、黒狼はただ森の奥を目指す。
何やら背中側にある丸い物が五月蝿いが、彼はそれに対して無視を貫いた。
返事をすると面倒な事になりそうだと、作り変えられ異常発達させられた脳が判断した為だ。
彼が駆けて行っている方向にあるのは、彼等の始まりの地。
自分がどれ程の時間をかけてあの場所に辿り着いたのかは知らなかったが、そこは負傷していた身。
爆発音が彼の耳に届いた事からも、そう離れているわけではないはずと彼は思考する。
どれだけ走ったのか。
長かったのか、短かったのか。
どれ程離れているのかは分からないが、彼とオルトロスはその場に立った。
森の中、ぽっかりと開いた洞窟の入り口へと。
≪兄弟、貴方まさか……≫
「ダ、マッテ、ロ」
≪……ずっとだんまりでしたから、話せないのかと思っていました≫
どの口でそんな事を言う、と彼は内心で毒づいた。
彼が作り変えられた時の混線に乗じて、様々な知識を直接脳へ叩き込んだのはオルトロス自身だと言うのに。
尤もそう抗議したところでオルトロスは、デバイスに口はありませんよと流し、彼の感情を逆なでするだけだったのであろうが。
ぴかぴか光るデバイスの言葉を粗方無視しながら、彼は先日自分が逃げ出した研究所へと一歩を踏み出した。
≪酷いですね≫
所々で未だちろちろ燃えている火を見ながら、オルトロスが呟く。
研究所は、あの洞窟の入り口からは想像もつかない程に広かった。
整えられた白い壁や複雑な機械達、端々にこの世界では調達不可能な物品が目に入る。
尤も現在は爆発の余波で全て破壊しつくされており、ここにいかなる価値も見出す事は出来ない。
それらを一瞥して、狼は迷いなく奥の部屋へ突き進む。
開きっぱなしになっている扉の上にはプレートが一枚、地球のものとは異なる言語で実験室、と書かれていた。
室内は、そう、一言で表すのであれば地獄だった。
壁も床も焼け焦げ、柱は半壊し、この部屋が崩れきっていないのが不思議なほどの惨状。
もっと酷いのは臭い、だろうか。
肉のこげる臭いは目の前の光景を見なければ気にならないかもしれないが、見た瞬間誰もが吐き気をもよおすだろう。
てんでばらばらの方向にひしゃげた手足、もはや人と判別するのも難しい物体。
顔の潰れたものや、上半身と下半身が泣き別れになっている程度ではむしろ綺麗な方だと言えてしまう。
狼は別段それらを気にするでもなく、平然と人だった物を踏みながら爆心地へと向う。
彼にとってこの者共は目をくれてやる価値もない物だった。
一様に焦げ付いている死体には無視を貫く。
ただ、何事にも例外と言うのは存在する。
仔狼はこの研究室内で唯一弾痕のある男の死体前で立ち止まった。
爆発の中心にいたのだろう、皮膚の焦げ付きが酷い。
分かるのは中肉中背の比較的若い男だと言う事位か。
≪マイスター……≫
この研究所で唯一、生命科学のせの字も知らなかった男。
狼をこの研究所から逃がした、研究所でただ一人、人としての何かを留め続けた男。
そして、オルトロスの生みの親。
悲しげに機械音を鳴らすオルトロスに構う事なく、仔狼は僅かに残る男の衣服を破いてしまわぬよう慎重に銜えると、男を引き摺り始めた。
未だ人化を知らない彼の、今の精一杯。
その姿を見てオルトロスは、彼が何をしようとしているのかなんとなく分かった気がした。
≪兄弟、人間は嫌いなんじゃないんですか?≫
【嫌いだ】
即答。
にも関わらず男を運ぶ彼の目に負の感情はない。
穏やかなままの瞳。
もしもオルトロスが人であったのなら、その顔に笑みを浮かべていた事だろう。
≪そうですか。それはそうと念話での発音は滑らかですね。声帯がまだ上手く機能していませんか≫
【わざわざニンゲンの真似をするつもりはない】
≪そのままだと保健所に捕まって処分されてしまいます。
せめて人化と言葉くらいは使えるようになって下さい≫
【……っち】
舌打ちではあったが、決して完全な拒絶ではない感情にオルトロスが満足げに明滅する。
ずりずりと薄暗い研究所内を移動していく。
衣服以外の所を銜えればもっと早く移動する事は可能だろう。
だが、何故か彼はそうする気が起きなかった。
この男を傷つける事に躊躇しているのか。
そう浮かんできた考えを仔狼は鼻を鳴らし破棄する。
時間にして数十分ほどだろうか。
ようやくにして彼等は死体を抱えたまま森の中へ戻って来る事ができた。
微かに覗く月明かりが男の死体を照らし、僅かに燃え残った黒髪を浮かび上がらせる。
仔狼は無言で遺体のすぐ側に穴を掘ると、それを地に埋め、数m離れた所に座り込んだ。
≪兄弟、ありがとうございます。マイスターのお墓を作ってくれて≫
【別に……借りを返しただけ】
≪借り、ですか……?
ああ、そうなる前はよくマイスターに遊んでもらっていましたしね≫
【それは関係ない】
≪そう……ですか。では、借りついでに覚えておいてあげて下さい。名を、フォルツァ・ホンダ。
遠い祖先にこの世界の人物を持つ、優秀なデバイスマイスターでした≫
【気が向けばな】
唯一、彼を実験動物として見なかった男の事を思い出しながら素っ気無く念話を返し空を見上げる。
月明かりは届いているが、鬱蒼と茂る木々のせいで月は見えなかった。
これからどうしたものかと仔狼は考える。
彼を生み出した研究員達はもはやこの世に存在しない。
いや、存在したとしても彼等の言う事を聞くなど業腹ではあるのだが、反発するにせよ恭順するにせよ、一つの指標とはなった事だろう。
彼にインプットされているのは使い魔作成の術式とその他生きていくのに、戦うのに必要な知識のみ。
否、ライブラリから叩き込まれた知識はあるのだが、この状況で今後の方針を決めると言うのは、幼く経験を殆ど持たない彼には不可能に近い。
完全なる自由と言うのはそれはそれで不自由なのだなと彼は嘆息した。
【とりあえずは……生きる。しばらくは野良生活だな】
≪兄弟、きちんと声に発しましょうよ。
そうでなければいつまで経っても声帯が発達しませんよ?≫
【必要性を感じない】
言った瞬間、仔狼に変化が起こった。
急に胸の内から覚えのない感情がせり上がって来たのだ。
かちかちと牙が鳴りそうなそれは恐れ、次いで襲い来るのは安堵。
個々は大した感情ではなかったが、不意打ちに近い形でやってきた為酷く強いものに思えた。
意味不明の自分の情動に、狼は言い知れぬ恐怖を抱く。
【どう言う事だ?】
≪何がでしょう?≫
【感情が……勝手に動く】
≪ああ、その事ですか。マスターの感情が流れ込んだのでしょう≫
【マスター、だと……?】
おかしい、と彼は内心で何度も自己の知識を確認する。
自分の認識は何も間違っていないはずだ、と。
彼が使い魔としての知性を得た、と言う事はマスターが存在する。
ここまでは何も問題ないが、彼の持つ知識ではその場合マスターは感情を揺り動かすどころの話ではない状態に陥るはずだ。
にも関わらず、確かにオルトロスの言う通り繋がりの先から流れ込んでくる何かを感じる。
ありえない。
ありえないが、すでに起こってしまっているのならば確認せねばならない。
そんな彼の心情を読み取ったのか、オルトロスは呆れた声を出した。
≪本当に無意識の内の行動だったんですね。
覚えてないんですか? 貴方、無理矢理術式を破ったんですよ≫
【俺、が……】
≪刻まれていた術式は兄弟が無理矢理破壊。儀式も途中で止まりました。
結果、パスとマスター認証が通っている事以外は何事も起きていません≫
【なるほどな。つまり俺は、出来損ないと言うわけか】
≪さて、どうでしょう。
私としてはあの少女を殺さずに済んでよかったと思いますが≫
【少女?】
≪ええ。マスターは先程貴方が威嚇した少女です。
リンカーコア接続がありませんから独自魔力で動いてはいますが、今の兄弟はきちんとマスターのいる使い魔ですよ≫
「ニンゲン、ハ……キライ、ダ」
故にマスターがどんな者だろうと関係ないと彼は口に出して言い放つ。
≪名を高町なのは。覚えておきなさい。
兄弟が使い魔になったのは彼女に一因がありますが、同時に彼女は貴方の命の恩人でもあります。
あの時なのはさんが魔力を兄弟に与えなければ、死んでいた可能性も高いんですよ?≫
【だがニンゲンだ】
≪マイスターも人間でしたよ≫
彼女の言葉に狼は黙り込み、腹を地につけて大地へ寝そべった。
疲労も溜まっているし、何よりこれ以上オルトロスと口論した所で勝てるわけがないのだ。
何せ現在の彼の知性は、先程生まれたばかりなのだから。
少なくとももっと言葉の使い方や、経験を増やさなければこの饒舌なデバイスに勝つ事は不可能。
そう判断して仔狼はその後のオルトロスからの会話を全てシャットアウトした。
オルトロスはオルトロスで、これ以上繰り返せば彼のとの関係に亀裂が入ると言う所まで粘ると、何も返さない相方に呆れを持って休眠モードへ移行する。
≪時間がかかりそうですね……≫
彼女の言葉を最後に、森は静寂を取り戻す。
黒狼にとって使い魔初日は、こうして終わりを告げた。